コンピューターおばあちゃんの会
小      説

霧が降る

    その七
 

 肝を潰した脱線事故が無事に済んでから、一年過ぎて初秋の季節を迎えた。 工事も98%進捗し、地下道脇の水路推進工事を残すのみになっていた。
 あれから一年、順風満帆に来たわけではない。さまざまな出来事に遭遇してきた。中でも特異な渦に巻き込まれた事件?もあった。
 盛土用土はS市の染色団地造成地から採取を指定され、品質の悪い泥岩 との闘いは難渋を極めた。この盛土用土を巡って、詐欺・横領その他諸々の嫌疑が、地元の田圃農家からの、土運搬の際に出る土煙の苦情から明るみに 出ることになった。
 国鉄から工事契約によって受け取る金額は、我社を通して染色団地に支払う。ところがこの金額が、染色団地の一理事個人の懐に入っていたのである。多々曲折が有って 理事長の知るところとなり、一気に表面化してきた。この問題が表面化すれば 格好の新聞種にもなり、土取場を指定した国鉄側にも類を及ぼす可能性もある。 穏便に裏で解決を図れるよう根回しに奔走したことなど、工事以外でも、無い神経を すり減らしてきた。(知らなかったとはいえ、結果として、片棒担いだ格好になっていた)
 また、この地方を未曾有の風水害が襲ったときには、飯場は倒壊、浅水川鉄橋も警戒水位を超え、更に危険水域を越えて濁流が増水し、列車も運休、事務所も机の上まで 冠水、施工中の現場もかなりの被害を蒙り、修復に思わぬ出費をしいられた。
 大小思わぬトラブルに巻き込まれながら、ようやく残工事2%、後一息の矢先 の出来事である。
    絵: 明珍秀子

 「テレビやラジオで北陸本線鯖江付近が土砂崩れで不通のニユースが流れていますが現場ではないでしょうね。支店長も心配しておられますが・・・」  内勤の若い事務ヤの声だ。
 本社から上司が現場視察に来られ、事務所を出て車に乗り込もうとした矢先の電話である。
 「土砂崩れ?現場には土砂崩れの個所はないよ。今から現場に出るから調べて折り返し報告するよ」
 秋は陽の沈むのが速い。曇り空とあって三時過ぎでも薄暗い感じだ。
 「所長!大変です。地下道横の土砂が崩れて、『雷鳥』が立ち往生しています」
 一瞬、顔が青ざめ、引きつった。血が逆流したかのような衝撃を受けた。連絡に来たのは若い現場担当の社員だ。緊張で顔は上気し小刻みに手がふるえている。 何故?絶対に土砂崩れなど起きない筈の現場で何が起こったのか、悪い夢でもみて いるのではないか。頭が真っ白になって思考が止まった。幸い怪我人はないというのは救いだが、特急列車を止めている事の重大さに慄然とした。
 「支店に君が見たとおり連絡してくれ、事故の詳細は私が現場から帰って報告するとな」
 現場は騒然としていた。レールは枕木を抱えたまま、梯子状になって無残な状態で垂れ下がっている。レールの下は土砂も道床バラスも崩落、空間となっている。十数人が、崩れ落ちた土砂を復旧にむけ懸命に作業している。主任のN君も陣頭指揮で汗が流れている。私に気付くとぺこりと頭を下げ、目で詫びていた。
 国鉄関係から土木、保線、電気各職員、報道関係が事故現場を遠巻きに囲んで復旧の推移を見守っている。報道記者が、盛んに事故原因などを国鉄職員相手に聞きまわっている。綿密に工事打ち合わせ、施工計画書を提出、工事区の認可を受けての施工であり、誰しも此処で土砂流出があるなどは、想像もしていなかったに違いない。が、しかし 現実に事故はおきている。
 原因は、複雑な技術的なことではなく、信じられない単純ミスが招いた結果であった。
 「工事の責任者の方はいませんか?話を伺いたいのですが」
 なかの一団から声が掛かった。とっさに同行の本社上司が叫んだ。「横、帽子変えろ」作業員の懸命の復旧作業の進展を、祈る思いで見守っている今、記者の質問などに応答する余裕などない。着用している保安帽には責任者の識別で三本線が入って いる。これではすぐに判ってしまう。素早く脱帽して作業員のを借りて着帽した。それも一時。すぐに捕まった。
 「どうして事故が?原因は」などと浴びせ掛けられる記者達の質問に答えようもなかった。独断で迂闊には答えられない。撮られている現場写真にもなるべく背を向けていた。
 秋の夕暮れは早い。照明の準備をする頃、事故発生から二時間余り掛って復旧工事は終了した。徐行しながら『特急雷鳥』は大阪に向けレールを軋ませ走り去った。一応の安堵感があったが、悩まされ続けた糞尿の事など微塵も脳裏には浮かばなかった。
復旧は終わったが、これで総てが終わったのではない。私にとって、これからが地獄の始まりである。列車運行時刻の正確さを誇る国鉄、その特急列車を二時間余も、事故それも工事ミスで遅延させてしまったのだ。頭を下げてまわるぐらいではすまないのである。
次回に
ようすけ

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