コンピューターおばあちゃんの会
小      説

霧が降る

    その六
 

「で、事故発生はいつ、現場は?その状況は?」
 「分りません。私のところに連絡が入ったのは一時過ぎでしたから」
 時計を見る。四時三十分に近い。
 何故だ。三時間余の空白。
 「今、みっちゃんは何処?」
 「事務所に来ています、所長を探して連絡するように言われ、皆さん 全員現場に行かれています」
 タクシーを待つ間の電話の遣り取りでは、事態が把握できない分焦慮と恐怖に似た不安が渦巻く。
 車が福井に近くなった頃、焦慮と興奮がやや薄らいで、少し冷静さを取り戻し、現場の状態を思い浮かべてみる。確かに昨夜は一時激しい豪雨だったが、どう考えても脱線事故につながる要素は思い浮かばない。しかし脱線事故は現実におきていると言う。悪い夢であってほしい。
 空は相も変わらぬ鉛色。夜は明けた。事故が起こるとすれば、カット部分(切り通し)を過ぎて地下道工事の仮設の吊げたではないか?事務所のはるか手前のカット現場に向かった。国道から農道に入ると遠目に貨物列車の長い列が飛び込んできた。止まっているようにも見えるが、目を凝らすとゆっくり動いているようだ。そうだ、カット部分を過ぎれば、工事のため徐行区間なのだ。すると脱線事故も修復して開通しているのではと、不安も半ば安堵に変わり車を降り現場に立った。
 列車は通過して、現場には人影もない。事故があるとすれば此処しかない。この現場も昨夜の雨のせいか、法面(山肌)が滑った痕跡があり、土砂が線路脇まで流れ出して土嚢が積まれ、線路に土砂の流失を防いでいる。昨日までは無かった事だ。やはり事故は此処で起こったのだ。
 重い気持ちで事務所に戻った。徹夜作業で疲労が滲む職員に労をねぎらい、事故報告を受けた。昨夜の豪雨で法面下に置いてあった仮設用材の直径3センチ程の小丸太数本が土砂に押し出され、線路上に覆い跨り列車の進行を妨げていたのを保線区の職員とS君が帯同して、現場巡回で発見し、保線区工事区・隣接の各駅に携帯用鉄道電話で連絡。保線区職員、下請け数十人が現場に直行。幸いな事に貨物列車の通過時刻まで30分余の時間があることを確認。
 (豪雨・強風の場合、現場巡回、緊急出動態勢を義務づけられている)
 障害物撤去、保線区員の線路異常の有無点検を余裕の中に終え、貨物列車を無事見送れたのは僥倖と言わなければならない。
 安堵する間もなく、土砂の流失留めの土嚢積、仮水路の設置など二次災害に備えて作業は夜明けまで続いた。以上が事故に対するN主任の概要であった。 大事に至らなかったのはまさに幸運と言わなければならないが、これで総て終ったわけではない。このような場合、事後処理が大変なのである。国鉄関係へのお詫びはもとより、報告書の作成、加えて会社の管理部門への事情報告。事故が未然に防げたものの後遺症は大きい。
     絵: 明珍秀子
 ところが後日問題がおきた。事故当時、私の所在不明の件である。通常現場代理人と主任技術者は別個に申請許可されるものが、当初三ヶ月との見込みもあって、私が両者兼務し、正規の現場代理人が来た時点で、届け直せばよいと判断していたからである。結局私がそのまま現場代理人に決まった時点で、N君を主任技術者にすべきを怠っていたのである。
 運悪くその夜は近隣工事の起工式で、局のお偉方も来ておられ、芦原温泉に宿泊していたのである。事故発生の報に、現場に駆けつけて状況判断の後、現場代理人は?主任技術者は?と詰問されても居ないのである。いないわけである。その頃、私は何も知らず芦原温泉H旅館で高鼾だったのである。
 その夜、ある会合に急遽出席を余儀なくされ、芦原温泉に出向いたが黙って出たわけではない。新任の事務職員(国鉄OB)に行き先を告げたのだが失念し、悪い事は重なるもので、自宅の丸岡町に帰ってしまった。したがって誰一人私の行き先を知らなかったのである。黒板の行動表に記載すべきだったが後の祭り。
 一方、事務所に残っている連絡係のM君、事故発生当時、電話で私の立ち回りそうなところを当たってみるが手がかりなし。名古屋にある社宅にも入れてみるが帰っていない。ふと事務補助の倫子さんなら知っているかも知れない。夜中でも緊急時のこと、電話を入れる。深夜にも関わらず自宅から駆けつけてくれた。電話で連絡するところも尽き果て、諦めかけた頃、「そうだ芦原温泉かも知れないわ」事務所の電話帳にも記載がない。電話帳から芦原温泉のホテルや旅館に当たり、6軒目に私の宿にいき着いたという。
 「緊急事故発生、脱線の恐れあり」連絡用の黒板に書かれた文字から、探し当てた喜びと興奮で思わず脱線事故と口走ってしまったのだと倫子さんは謝る。
 「ごめんなさい」
 謝るどころではない。
 「よくやってくれて有り難う」
 帰るよう促されても心配でと居残る倫子嬢。現場雇用、臨時職員でありながらの熱意にには頭の下がる思いだった。
 連絡事項を忘れて帰った事務職員。何事も知らず出勤し、事の顛末を聞き只々恐縮。
 しかしこれは大事故の前哨であったのか?北陸本線で山崩れで不通。特急 「雷鳥」他立ち往生。テレビ、ラジオで一斉に報じられ、報道陣も現場に集結。
  この日より一年後、9月の出来事であった。
                            
次回に

ようすけ

会員の作品集「小説」トップページに戻る

※ここに掲載されている作品は全て作成者の掲載許可を得たものです。作成者と会の許可なく無断転載やコピーは違法となります。
トップページに戻る
Copyright(C)2000コンピューターおばあちゃんの会