小 説 | |||||||||||
その一 「横ちゃん、ちょっとなぁ」と電話の向こうで・・・ ほらきた。上司に「横ちゃん」と呼ばれて今までろくな事はない。思わず受話器を片手に身構える。 「線増だよ線増。名古屋で線増工事が出たんで行ってくれないか」 「現場はどこですか」 「福井だよ北陸本線。福井から北鯖江の間」(線増工事とは単線を複線にする工事。旧国鉄用語) とっさに福井地方の二年前の大豪雪を思いだす。これは大変だ!ここは三十六計逃げるに如かず。 「いや〜勘弁してくださいよ。まだここの残務整理もあることだし」 「とにかく、そんなものは若い者に任せて、三ヶ月でいいから段取って帰ってこい」 日光「いろは坂」の突貫工事もオリンピックに間に合わせ、無事竣工を迎え打ち上げと汗流しに、川治か鬼怒川の温泉にでも繰りだそうかと、こちらはその、段取りのさなか。ここは日光馬返しの工事事務所。 長々と押し問答の末、そこはサラリーマンの悲哀、三ヶ月というのに押し切られ、しぶしぶ北陸路にしばし草鞋を脱ぐことに。これがなんと予想もしない二年にも及ぶ、「霧が降る」長丁場の始まりとは! 昭和三十九年晩秋。「弁当忘れても、傘忘れるな」 北陸地方の諺。そんな福井に着いたのは、危惧したとおり、やはり霙(みぞれ)混じりの雨の降る、肌寒い十二月初旬、空は前途多難を暗示させるようなくすんだ色。当時、岩日線、枕崎線、東海道新幹線等々、新線工事畑を渡り歩いてきた私にとって、線増工事は初めての経験であったものの、工事自体にはさして不安を感じていない心づもりが、ここにきてとんでもない落とし穴があろうとは・・・心配はむしろ、建築限界(線路の中心から1.6m)すれすれの工事だけに、列車妨害へのおそれ(これは命とりになる)重機群、作業員らの安全確保に、全神経を集中させなければと、当然のことながら、思いはそればかり。 ところが、予期せぬ、まったく予期せぬ事態に遭遇。延々二年にも及ぶ『霧』との格闘?が始まることになる。 「ミッチャン、ミッチャン(女子事務補助員)ちょっとこの臭い嗅いで見て」 測量から戻ったN君のひと声。 「爆弾が落ちたり、霧が降ったり・・・とんでもない現場ですぜ」 かたわらにいた私、一瞬事態が飲み込めずに、N君の説明を聞くに及んで、ようやく「ウ〜ン・・・」と唸る。まさに「ウ〜ン」である。うかつにも、わたし自身たびたび、お世話になっていながら、まったく気がつかなかったアレである。 みなさまも、日常お世話になっている例の「アレ」それが列車にも確実に常備されていること。しかもこの当時「タンク」など無い時代で、ストレートの枕木地上に落下する。それが風向き、列車の風圧などで、霧状あるいは顆粒状になって舞い上がる。したがって、ウンが悪ければもろに「ソノ」洗礼を受けることになる。 「ウ〜ン」が「ソウカ!」に変わりしばし沈黙。 「どうします?」 といわれても、まったく考えていなかった事だけに返事に窮する。 突然T君。 「妙案があります。工事現場区間内での使用禁止をお願いすれば・・・」 「そんな事ができるか!ここだけが工事現場じゃないぞ」 「じゃぁ、どうすればいいんです?」 そこでまた「ウーン」と黙考。 そのころ、物流の主役は貨車輸送であり、裏日本の動脈は北陸本線。客車貨車と入り乱れての往来のダイヤは過密であった。 「ようし、今夜は緊急対策会議だ。職員・工長・世話役全員集合して」 なんと工事以外でこんなくだらない(イヤ、下る話か)小田原評定*1を行うとは! しかし、通る列車全部が全部、現場内に爆弾や霧を撒き散らしていくわけではないぞ。朝が多いか、昼は、夕方は?話題は確率論?にまで及ぶ。結論。 自己防衛以外対策なし。作業現場の列車見張り員に、特大の警笛を持たせ列車の進入時に、各自の判断で対処する。(逃げるも一手)なんともしまらない結論ではあるが、他に方法なし。
地下道工事には対策はある。問題は鉄橋工事だ。これには打つ手がない。 工長に因果含めて説得するしかない。常時爆弾やシャワーがふるわけではない。 精進がよければ、一回も空襲はないかもしれない。もしウン悪く被爆したら。 お神酒でお払いしよう。職方にも合羽の上下を何組か支給する。 勿論、お神酒つきだ。とにかく、雨季までに橋脚だけは、立ち上げないと川の中増水の危険がある。空襲どころではなくなるのだ。
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