コンピューターおばあちゃんの会
小      説


    
    その五

 天金」三代目の金太郎の長女「はつ」が私の母で、弟の四代目「延太郎」「弥三郎」と続きます。 祖父は小学校しか出ていなかったが、非常に書画・骨董を愛する人で、かなりの蒐集品を集めていたが、 関東大震災と大東亜戦争の火災で、焼失してしまった。 祖父の居間の長押には坪内逍遥博士の筆による「天均居」なる額がかかっていた。 天均居とは、博士が祖父の号として贈って呉れた名だ。 焼夷弾による直撃が土蔵の上に落ちて古書籍・古書画ともども焼亡してしまった。 博士、嘆いて曰く、「天均居もことごとく祝融氏に献じてしまった」と。祝融氏とは火の神様の事である。 内田魯庵の「思い出す人びと」のなかに書いてある。
 晴海通りを三原橋の交差点(三十間堀・昭和通り)を突っ切って歌舞伎座の前を通り、万年橋を渡ると左に松竹会館右に東劇が有った。 その先の京橋郵便局を右に折れると、寿司の江戸銀がある。築地四丁目を中央卸市場へ向かって、角が 「新喜楽」裏に芸者置屋の「花とんぼ」「分とんぼ」があった。「江戸銀」も勤め帰りのサラリーマンやOLで込むが、私のお薦めは寿司清本店。 癌研で検査にパスしたら自分に御褒美で、ここで盃を傾ける。ただし昼時はメチャ込み、おばちゃんで一杯。みんな裕福だねー?昼飯¥200で我慢してんのにー、、、、、(男はつらいよ)角に行列の出来るラーメン屋「井上」ここは、チャシュウメン一品のみであとは無い。 他に、まぐろどんぶりの「瀬川」。 深大寺そばの「まるよ」。 オムハヤシの「豊ちゃん」。 卵焼きの「松露」など美味しくて安い。 食い意地の張ってて御免なさい。
    絵:  rei
古川柳に、「江戸っ子の生まれぞこない金を溜め」とある。そうか、灰吹きと(灰皿)と〇〇は溜まれば溜まるほど汚くなるそうで、生まれぞこないは、その通りだがマネービルの方は、からきし駄目でひーひー言ってます。 銀座六丁目の角に黒沢商店というタイプライター屋があって、隣が「松本楼」(日比谷公園内で100円カレー・ライスで有名)が出していた日本料理の食堂、「小松食堂」であった。松本楼は裏通りにあって、そこのご主人は泰明小学校の保護者会(今はPTA)の会長で小坂梅吉氏である。小坂氏の先代は信州伊那の人で上野輪王寺の御用商人であったが、明治維新の将軍家瓦解の時に上野から銀座に出てきた。その当時、信州松本から来て「松本」という名の料理屋をしている人があり、小坂氏が譲り受けたのが「松本楼」の始まりである。その小坂氏の「小」と松本楼の「松」を取って、「小松食堂」が出来、その名が戦後の「小松ストア」となった。戦後、ビル建築中に小判が出てきて銀座っ子の話題をさらった。現在はまた改築して小さくなった。

5| 次回に
岡部伝蔵

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