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メーリングリスト会話集 1 |
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| (1日に50通〜60通位飛び交っている当会の メーリングリストのメールの一部を抜粋して掲載しています)
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| ●真白になってしまった現代のカレンダーが寂しくて昔の生活を 書込みながら子供達にも伝えようと今年に続いて平成二十年の じじばば暦、昔むかしのカレンダーが出来上がりました。 九九九はあとは下がるだけという満願を嫌ってのことです。 平成二十年は明治で言えば、大正なら昭和なら何年でしょう? 子年 嫁が君(ねずみのこと)正月は鼠というのを忌んで こう呼びました。 餅花やかざしにさせる嫁が君、、、芭蕉 |
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カリフォルニアにある隠退者村 ラグナウッド・ヴィレッジ情報 ここには乗馬クラブ他幾つものクラブ、趣味の部屋が275あります 様々なショウも開かれます。 男女に関わらず誰でも施設は利用できますが、男性の方々に人気の木工室です。この施設の中を11台のバスが連絡に走っております。街に出る時も利用します ラグナウッド 会員 畠山文代 |
| 53歳から92歳の女性会員の アクアデットショウ ![]() |
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| ● 八十歳のひとり旅 |
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| 趣味のグライダーで 南部美光 (78歳) |
| 迫力の写真でご覧頂けます。 >>こちらをクリック! |
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| 佐久間瑠美子 |
| このほかにも美しい薔薇が展開します。>>こちらをクリック! |
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| 佐々木和子 |
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| ●鹿児島県嘉例川駅の張り紙をご覧下さい。 「明治36年1月15日開業木造駅舎嘉例川駅、百四歳に ないもした。全国からのお客様どうかおじゃったもんせ」 (104歳になりました 全国からのお客様どうぞおいでくださいませ) 鹿児島を出て43年 長崎 大久保洋子 |
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| 平和を願って 大阪 粟津晴子 |
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| ● 雪蛍 (綿虫、大綿、雪婆、白粉婆、雪降り虫) |
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| 晩秋初冬の風のない日に林の中を漂っています。 肉眼では羽は見えませんが、カメラに捕らえ、拡大してみました、海の「クリオネ」に似ていますね。 両方とも立ち泳ぎスタイルなのはお腹が重いのでしょうか。 冬はそこまで来ています。 栃木県 吉沢義之 |
| ● お国自慢の切手遊び |
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| 長谷部さん・飯沼さん・上甲さん・河野さん・松本さん・太田さん reiさん・榊原さん・佐久間さん・佐々木あやこさん・佐々木和子さん 鈴木さん・孝子さん・富阪さん・山田さん・吉沢さん |
| ●お婆ちゃんの冬支度 ・ 昔は忙しかった! |
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| もう、何十年も前のことになりますか・・・ 昔は大所帯、男性は丹前(タンゼン)というものを着ました、綿が入っていますのでそのままは洗えない、毎年必ず解いて盥(タライ)に洗濯板で洗い、正麩糊を煮て(ショウフノリ)、それを布で漉して張り板に布地を張り、それから縫って綿を真綿で押さえながら入れました。それを兄嫁と二人で夜なべして兄弟4人分を仕上げるのは大変でした。 今のようにドライクリーニングなどと言うものは無く、布団も汚れると全部同じように8畳の部屋いっぱいに、打ち直した綿を広げて入れたものでした。正麩糊といっても今は売っておりませんし、張り板は出番もなく、納戸の棚に化けてしまいました。 和服裁縫全集を見ながら子供の四つ身の浴衣を縫いました。 こては今は電気ごてですが、昔は必ず火鉢に鉄瓶でお湯を沸かしておりましたので、炭火で熱して使いました。 昔々のその昔・・・・ 常岡正子 |
| ● 透
明 遊 び 風に揺れるカーテン ・プレゼントにはオーガンジーのリボンをかけて |
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| パソコンで想像の世界を遊んでみました。 |
![]() 横浜 鶴岡清子 |
| ●らくうしょう(落羽松)の呼吸根 こぶのように見られるのはらくうしょうの根が地上に現れた 呼吸根です。 写真 仙台 佐々木静江 |
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| 連 想 ゲ ー ム 春が来た♪ 春が来た♪ わーい・・ |
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| 絵 明珍秀子 |
| ● 大正幼年唱歌より 「お客様」 大正5・12 | ||||||||||||||||||
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| ● おばあちゃんの昔語り (その1) |
着物を着なくなってもう何年になるでしょう、 銘仙やお召し、戦時中はお袖を短くしたり大変でした。 そうそう羽織も随分ながくって、、、 若いころは矢ばねの着物をよく着ました。 夏は絽や紗の着物,、足袋のお洗濯が大変でした。 帯も付け帯がはやった時は、らくになってほっとしたものです。 家族の大勢の夏の思い出にお布団の仕立て直し、 着物をといて洗い、板張りや伸子張り、 大正、昭和の風景すっかり変わってしまいました。 洗濯も大変でした、 浴衣はうすく糊ずけして、乾いたのを霧吹きして 重しをかけて仕上げました。 アイロンは電気でなく炭火をいれて、おこたつも30センチ 四方くらいの置きごたつ、なかに炭火をいれました。 ![]() そうそう年中行事に大掃除がありました。 畳を全部あげて太陽にあて天井から床下まで・・。 掃除が終わったしるしの紙を町の見回りのかたが置いてゆきました。 女学校のころ毎晩スカートを布団の下に敷き寝押しをしました。 |
| ルビー(87歳) |
| ● おばあちゃんの昔語り (その2) 天保生まれの祖母に育てられて トキ(88歳) |
| 私の祖母は1839年(てんぽう10年)生まれ、渡辺崋山が捕らえられたころで、大分は城下カレイで知られた日出藩の侍の家の人。私が11歳まで大阪の浜寺の家で共に過ごした。 祖母は夜、枕元に手燭を置く。歌舞伎で、やの字の帯の腰元が掲げるあの手燭である。 丁度その頃、日本で初めて家庭電化製品が普及し始めた。熱いお茶の好きな祖母は電気で沸かしたお湯は炭や薪で沸かしたお湯より熱い、冷めるのも遅いと好んで電気を使った。 祖母の趣味は花や植木の世話で、桜は黄色いウコン桜、椿は八重の黒椿など変わったものが好き、庭に出ない日は私に字を教える。百人一首や漢語の言葉を教えられた。かるたは天智天皇、秋の田の・・・、から、順徳院、百々しきや、まで必ず読み人の名を呼ばなくてはいけないと厳しかった。 ご飯のときには、さあ、お膳にお直り、・・・と言う。 大正12年関東大震災の時には、祖母の三人の娘(父の姉妹)は皆無事であったが、祖母はメガネをかけて丹念に新聞を読み「東京では焼け出された人はバラックと言うのに住んで居るそうな」と教えてくれた。 漢学の家の娘の祖母の口癖は『過ぎたるは、なお及ばざるが如し』で、私は物心ついた時から耳に染みている言葉であった。 今、青山墓地の一隅に祖母はねむっている、きっと今なら コンピューターおばあちゃん」でしょう。 |
| ● おじいちゃんの昔語り (その3) 麻布十番寸描 夜店 野口五男(80歳) |
| 夏から秋にむかって十番通りに夜店がでました。 まだアセチリンの時代です。懐かしいアセチリンの臭い、いろいろな店が出て、今よりずーっと口上がうまくて効能書きを聞かせて 物を売る、ひやかし客も楽しんで聞いていた、たんかばいですな、啖呵売りと言うと誰でもすぐ思い出すのが、バナナ売りやスイカ売り、中に刃物を売っているばい人が居て、『ドイツの国はゾリンゲンの剃刀だよ、刃に磁力が有るからこのとうり』と二本の剃刀の刃先を合わせると刃と刃がたがいに引かれて手品の様に動いた。 いかにも高級に見えて、その頃は誰でも舶来品は高級だ刃物は ドイツにかぎると思い込んでいるから、うまく気を引かれて買ってゆきました。 子供の私は買えないけど大人に成ったらと思っていたのに、私が剃刀を使える頃には電気シェーバーの時代に成ってしまいました。 |
| ● おじいちゃんの昔語り (その4) 青山今昔 松林廣和(75歳) 表参道在住 |
| 昭和22年3月15日東京15区は区部23区に移行しました。 広尾から西麻布にかけて左側に日本赤十字社、順心女学園、右側に麻布3連隊(現在東大生産技術研究所)があります。このあたり西麻布ー乃木坂ー青山1丁目まで大きくかわりました。 乃木坂の駅近辺には鉄砲山が在り(恐らく陸軍の実弾射撃場)だったと思います。全山に(みたけ)が茂り、山の中心には塹壕があって水が溜まり、ゲンゴロウ、ヤゴ等がいて子供の遊び場には苦労しなかった。 当時の市電が霞町方面から青山1丁目にむかって通って周辺は谷のような風景で、子供の頃はツクシを取ったり 1部の人は土手でセリを摘んだりして郊外のようでした。 また 青山墓地ではカブト虫、クワガタ、セミ、トンボ、玉虫を取ったり椿の実、ギンナンで笛を作ったりしていました。夕刻になると空に トンボが群れをなして飛んでいました、子供の私は牛車が通り、 その牛のよだれが白く固まった青山通りを、よだれの跡を踏みしめて学校に通いました。現在では、想像もつかないでしょうと思います。 青山1丁目を超えて左側には陸軍大学(現在の青山中学)権田原、右に明治記念館、信濃町駅、慶応大学病院、このあたりは余り変わっていません。青山1丁目から渋谷に向かって東京市外電話局近辺は大きく変わって、間組本社、伊藤忠本社などがあります。 表参道駅については、現在歩道いっぱいの通行者がありますが、ついこの間までは、朝の乗降客も乗る人が2,3人で寂しい駅でした。さらに渋谷方面にゆきますと左に青山学院、右に青山車庫(現在国連大学)裏にまわると下田歌子の実践大学があります。現在のアークヒルズの箪笥町を経て溜池、小生の記憶では東京で初めての自動車練習所が在った様に思います。 昔を思い出しても記憶の糸を手繰れない程変わってしまいました。 |
| ●おじいちゃんの昔語り (その5) むかしの農村のお月見 栃木県・吉沢 義之 |
八月の十五夜にはススキの穂を五本、九月の十三夜には三本と、それにとれたばかりの野菜や果物、月見団子をお月様にお供えしました。子供たちは藁を細縄で固く束ねた野球のバットのような「ぼうじぼう」 (芒打棒)で農家の庭を囃し言葉を叫びながらぽんぽんと打って回り ました。 『ぼうじぼったり三夜さま、大麦あたれ、小麦あたれ、三角ばったそばあたれ』 あたれとは豊作になれという意味です。三角ばったとは蕎麦の実は三角形をしているからです。 家々から お礼におやつが出ました。これが楽しみなのでした。ふだん子供は夜は家の外に出ることはできませんでしたが、お月見の夜だけは特別に許されました。 明るい月の光の下を大勢の友達と家々を回るのはとても楽しみでした。 ★ ぼうちぼうは穀物収穫用の道具です。穀物の穂をむしろの上でたたいて実を落とします。 東南アジアの奥地で今も使用されているのをテレビで見たことがあります。 |
![]() ![]() ![]() ![]() reiさん・きんさん・吟さん・柴田さん・飯田さん・平戸さん・ 佐久間さん・ しげさん・石原さん・明珍さん・佐々木さん・青木さん・ 太田さん・石川さん・長岩さん |
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| 幽玄会社 極楽旅行企画
(改称・幽霊会社 天国旅行企画)
通信 最終号
百年後に完成するサグラダ・ファミリア大聖堂とオーロラを見る企画に応募して下さった皆々様へ 思いがけず沢山のご応募を頂き有り難うございました。 ところが、少し企画が予想と違いまして百年後に到着する為には、本日、出発しなければならない旨が、 幽玄会社・空飛ぶ絨毯から通達がありました。あまりに急な通達で今回お申込みの皆様には連絡が難しく、残念ながらこの企画は中止と言うことになりました、お許ください。 お騒がせ致しました当幽玄会社・極楽旅行企画といたしましては、いろいろと交渉を試みまして、出来るだけ早く次の便を出して頂くようにと、申し入れは致しておりますが、今のところ、絨毯の需要に追いつかない有様だと言うことです。 皆さんと一緒に、現実離れした楽しい夢を見ることが出来たと思っています。生きることは死に一歩づつ近づくこと、その中で 泣くこと、笑うこと、怒ること、哀しむこと、嬉しいこと、悔しいこと、沢山あるのですが、今回の楽しいやりとりで現世の辛さを少しの間でも忘れられた感じが致しました。 人間は夢を見る動物です。どうせ見るなら楽しい夢を見たいし、また見ようと思います。 この次は皆様のご意見も取り入れ、もっと企画を練りまして、手落ち無く執り行いたいと存じます。 佐藤より子 極楽旅行企画さま 通信 最終号拝見致しました。 おやまあ 中止でございますか? なんと 残念なこと。理由は 空飛ぶ絨毯の生産が間に合わないからですか。それなら替わりの交通手段をとりませんか。 一番のお薦めは「1000の風」でございます。皆様せっかく楽しみにお待ちになってらっしゃいますのでぜひぜひ此の案をお取り上げくださいまして100年後の大旅行実現に向けて御検討くださいませ。 ポスターもこのように 立派に出来ておりますから。川端米子 |
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| 2008年9月現在のサグラダ・ファミリア大聖堂の進行状況です。 企画者佐藤より子さまが現状を視察して帰国しました。 円の中がサグラダファミリア教会ガウディの作品の中にある日本人の作品、生誕の門です。 |
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